あの日、我が子が生まれた喜びも束の間、事態は急変した。
予期せぬ事態から、生まれたばかりの我が子はNICU(新生児集中治療室)へと救急搬送されることになったのである。張り詰めた空気、飛び交う医療用語、そして救急車のサイレン。あの日の動揺から、我が家へ連れ帰るまでの緊張の記録をここに書き残しておきたい。
突然の救急搬送と、触れることもできなかった初面会
出産直後、告げられたのは「NICUでの専門的な治療が必要」という現実であった。頭の中が真っ白なまま病院へ向かい、初めて面会したときの光景は今でも忘れられない。
小さな身体にいくつものチューブやモニターの線がつけられ、保育器の中にいる我が子。抱っこすることはおろか、触れることさえ躊躇してしまうほど儚い存在であった。「ただただ無事でいてくれ」と祈るしかない己の無力感に襲われたのである。
涙が溢れた、初めての抱っこ
入院してしばらくは、保育器の窓から小さな手に触れることしかできなかった。しかし、状態が少しずつ落ち着き、看護師から「今日、初めて抱っこしてみますか?」と言われた日、私たちの時間は大きく動き出した。
たくさんの管に繋がった我が子を、落とさないように、慎重に腕の中に迎え入れた。その瞬間、温かい体温がじんわりと胸に伝わってくる。
「生きている。この子は今、私の腕の中で一生懸命に生きているんだ」
そう実感した瞬間、それまで張り詰めていた不安が一気に解け、視界が涙で激しく滲んだ。抱っこができた。ただそれだけのことが、私にとってどれほど大きな救いになり、前を向くエネルギーになったか計り知れない。
一つずつ積み重ねた、病院での育児練習
抱っこができるようになってからは、病院での育児練習が本格化した。私たちは毎日、搾乳して冷凍保存した母乳を大切に病院へと届け続けた。離れていても我が子の成長を支えてくれる大切な栄養だ。
病院では、その母乳を哺乳瓶に入れ、私が授乳する練習を行った。医療機器に囲まれた我が子を前に、おそるおそる行った初めてのおむつ交換や授乳は、どれも指先が震えるほどの緊張感であった。
特に苦戦したのは「げっぷ」のさせ方である。コツが掴めず、なかなかげっぷが出ない我が子を見て激しい不安に襲われたが、看護師の方々に支えられ、試行錯誤の末にようやく自分たちの形を見つけることができた。
首も座っていない我が子を持ち上げるのは怖かったが、初めての沐浴で本当に気持ち良さそうにお湯に浸かっている姿を見たときは、それまでのすべての緊張が吹き飛ぶほど深く癒されたのである。
医療機器が外れた、退院前夜の「家族同室」
待ちに待った退院の許可が下り、最終ステップとして、病院の個室で夫婦と子どもの3人で一泊する「家族同室」を行うことになった。
しかし、「いよいよ明日退院だ」と感慨に浸る余裕はまったくなかった。なぜなら病室に入った瞬間、これまで我が子の命を守り続けてくれていたすべての医療機器が外されていたからだ。
それは健康に退院できるという証なのだが、私にとっては頼り切っていた「盾」を突然奪われたような恐怖でもあった。「もし夜中に何かあったらどうしよう」「ミルクを吐き戻したらどうしよう」と、圧倒的な責任感が押し寄せてきたのである。
一気に押し寄せてきた不安で胸が押しつぶされそうであったが、万が一のことがあってはならないと夫婦で気合を入れ、常に我が子を見守れる状態を維持した。一睡もできないほどの張り詰めた空気の中で、ただただ無事に朝が来ることを祈る、過酷な一泊であった。
頼れる人はもういない、我が家への帰り道
翌朝、正式に退院手続きを終えた。チャイルドシートに慎重に我が子を乗せ、自宅へと車を走らせた。一瞬たりとも気が抜けない、人生で最も緊張した運転であった。ハンドルを握る手に伝わるずっしりとした命の重みを、今でも鮮明に覚えている。
我が家に到着し、玄関をくぐった瞬間は激しくホッとした。しかし、同時に冷徹な現実が突きつけられた。もうここには、24時間見守ってくれる医師も看護師もいない。これからは自分たち夫婦の力だけで、この小さな命を守り続けなければならないのだ。
「これから、本当にとんでもなく大変な日々が始まる」
我が子の寝顔を見つめながら、私はこれからの育児生活に対する覚悟を強く決めた。毎日のおむつ替えやミルク作りなど、育児は本当に大変なことの連続である。
体力的にも精神的にも擦り切れるような日々だが、のちにこの小さな足で力強く歩き出す我が子の姿を見たとき、「あのとき頑張ってきて本当によかった」と心から報われる日が来ることを、当時の私はまだ知らない。
――そして、このとき決意した覚悟すら、一瞬で吹き飛ぶほどの想像を絶する「激闘の1週間」が幕を開ける。



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